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モノが人を追い越して

いつの頃からか、日本を含む多くの国や地域ではモノがあることが当たり前の生活を送るようになっています。

でも、元々はモノは何か必要に合わせて作っていたのではないかと思います。

例えば、日本だと結婚式があるので着物を仕立てよう、とか、家を改築するので収納家具を作ってもらおう、とか。

(「あつらえる」、「しつらえる」という言葉も最近はとんと聞かなくなりましたね。)

イランだと、結婚するので新しい家に敷く絨毯を織ろう、とか、新しい馬用のサドルバッグを作らなくちゃ、とか。

自分のものを作るにしても、誰かに頼んで作ってもらうにしても、人がモノを待っていたような気がします。

ところが寿命が延び、人が増えたからでしょうか、だんだんとモノをいちいち作っていたのでは間に合わなくなり、

先に作って置いておくことを考える人が出てきたんですね。 物を売り買いする人や場所が現れてきます。

それでも最初のうちは皆ゆっくりとしたペースで売ったり買ったりしていたのでしょう。

しかし、さらに人口が増え、買う人も増えると品切れにならないようにモノも増やしていかなくては

いけない。だって、品切れだったら買う人も売る人もガッカリしますから。だからそうならないように、

どんどん生産することになります。

たくさん作ってたくさんの人が買っていくと、それを真似する人も出てきて競争も発生しそうです。

そうなると早く商品を作って売ったが良いわけで、時間が勝負になります。 

あれこれ考えながら作るのではなく、あらかじめ決められた通りに作っていかないと間に合わなくなってきます。

そして、ものが揃うと今度は買う人は多くの商品の中から選ぶようになります。そうすると、より多くの人に選んでもらえるように、もっと良いものをつくらなくてはいけません。より良いものが早く手に入るとなると、今度は値段も比べられる事になりますね。 そんなことの繰り返しによって

星空の見える美術館

より良いものがより早く安価に手に入るようになりました。 

これは、モノは「ある」ことが前提の暮らしから生まれた現象のように見えます。 

ところで、「より良いもの」ってなんでしょう。

誰にとって「より良い」のか。

もしかしたら、それは他の同じ用途の商品よりも「より良い」とういことであって、使う人に「より良い」ということではない場合もありそうです。そう、使う人の事は傍に追いやられて、いつの間にかモノ同士が競争している気配を感じるときがあります。

確かに真面目により良く考えられたものは、(「マーケティング」ともいわれるのでしょうか)今まで自分が思ってもいなかったような効果を生み出すこともありますし、不便だったことが解決することもたくさんあるとも思います。また、それはとても素晴らしいことだと思いますし、そんなより良さを求めているから人間は進歩し続けているのだな、とも思います。

でも、最近はこの商品があれば「より良く」暮らせるとか、「より良く」見えるとか、なんだか人間がモノに期待しすぎている気がするときもあります。  だから、モノも人間の期待に応えようとして頑張っている感じです。

その一生懸命さはわかるのですが、「どう?」「どう?」とモノが先回りして自分に働きかけてくる感じがして、

アマノジャクな私は少し苦手に感じます。自分で欲しいと思ってモノを買いに来たくせに、いざその売り場に行くと「モノに振り回されたくないなぁ、」と気が引けてしまうのです。 

とは言え、私もそんな世界にしっかり身を置いている人間です。

この矛盾のようなもの、どうしたら良いものなのやら…

モノとの付き合い方、自分なりに何回も考えていくことになりそうです。(2月25日加筆)

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