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特集記事

ヴィンテージラグと『七人の侍』

June 2, 2017

 

 

この《『七人の侍』の組織論》を読んで、店にある古いラグを眺めていたら「あっ」と思ったんです。

前日にショップカードのことで絵本の挿絵やイラストも手掛けておられるデザイナーのいしざきがくさんに「キリムや絨毯って、紀元前から何千も続いているじゃないですか。そんなに続いている理由は何なのか、未だに探しているんですよね。」

と話していたところだったのですが、その理由の一部がわかったような気がしました。

 

 

『七人の侍』の組織論

http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php

 

 

この記事はティネクト株式会社の「Books&Apps」というwebマガジンで安達さんという方が紹介されていて、何度も読み返してしまいました。

『「どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。」について、

これほど説得力のあるロジックを見たことがあるだろうか。いや、ない。』

http://blog.tinect.jp/?page_id=39510&paged=1&author_val=1

(ページの中ほどにこのコメントがあります)

 

 

 

(下の写真の黒で囲ったところは傷んだところをカットしてついでいるんです。↓)

 

ここには「弱いものまたは力の劣るものを基準に組織を作る」ということなどが書かれているのですが、七人の侍と絨毯やキリムの共通点のようなものが頭に見え隠れして何か面白い感じで繋がりそうだったんですね。

まあ、いつもの突拍子もない発見とこじつけなんですけれど‥

(勢いで書いてしまったので、「ですます」言葉になっていないです。)

 

・・・・・・・

キリムやラグはウールやラクダなどの獣毛、綿花などを紡いだ糸を経糸と緯糸及びパイル糸を交差させたり結んだりして織られ、その組み合わせのパターンは組織と呼ばれる。 一番有名でシンプルなのは綴れ織と呼ばれる平織りのもの。

どうしてもウールやらコットンやら自然のものでできたものは強弱のムラがあるので、

糸の撚りをきつめにしたり太くしたり、または、弱そうなところは重ねるように織るなど、

弱いところを気にかけて補いながら作っていく。

織る人がそれぞれの用途や使う人のことを想像しながら程よい強弱をつける。

その中で繰り広げられる個性あふれる糸同士の自由で規律のある乱舞が

織り手の頭の中にしかない設計図や不意な手の動きによって

どこにもないモチーフや構図となって一枚の織物になっていく。

それが手織りなのだと思う。

 

出来上がったラグは何年も何年も使っていると(経年変化と呼ばれるが)、

紫外線や摩擦などによって、またはタバコや蝋燭の火が飛んでくるなどして、

擦れたり穴が開いたりする。 

そんな時、家族の中の器用な人(大抵はお母さんやおばあちゃん)が

ラグとしての組織が崩れないように同じような色と風合いの糸で丁寧にかがって補修する。

弱くなっている部分は小さくてもそこから全体が崩れていくので、気がついたらすぐに補強したほうが良いが、手に負えないときは修理屋さんに頼む。

人の手で作ったものだから、人の手で直せる。

 

補強したところは完全に元のようになる場合もあるが、少し趣が変わる時もある。

たいていの場合は少しぐらい違っていても「それでいいじゃないか」となる。

補修の仕上げに新しい糸と古い糸を少し擦って馴染ませるのだが、

ウールはその特性から、擦り合わせるとお互いの繊維が絡まってだんだんと一つの組織の一つに組み入れられ、使えば使うほど(擦り合わせるほど)、糸同士の繋がりは強固になる。

それはウールの織物が長く使うことができる理由の一つでもある。ただし、擦り合わせすぎるとまた組織は壊れてしまうけれど。でもそしたらまた直せば良い。

 

 

人の間でもこれと似たようなことが日々繰り広げられているような気がする。

弱いところがあるから強いところもある。

弱いものも生き続けられるように、強いものが心を配ることがもっとできるようになると良いなと思う。

強いものだけが残ったらどうなるのか。考えるだけでも恐ろしい。

・・・・・・

 

ついでと言ってはとても失礼なのですが、他にも心に残った部分がありましたので、

下に記させていただきたいと思います。

 

 ***

組織の運動はその生存期間の過半を「悪天候」のうちで過ごすものである。組織人の真価は後退戦においてしばしば発揮される。勢いに乗って勝つことは難しいことではない。勝機に恵まれれば、小才のある人間なら誰でも勝てる。しかし、敗退局面で適切な判断を下して、破局的崩壊を食い止め、生き延びることのできるものを生き延びさせ、救うべきものを救い出すことはきわめてむずかしい。
「苦しいとき」においてその能力が際だつような人間を採用するという発想は
「攻めの経営」というようなことをうれしげに語っているビジネスマンにはまず宿らないものである。けれども、実際に長く生きてきてわかったことは、敗退局面で「救えるものを救う」ということは、勝ちに乗じて「取れるものを取る」ことよりもはるかに困難であり、高い人間的能力を要求するということである。
そして、たいていの場合、さまざまの戦いのあとに私たちの手元に残るのはそのようにして「救われたもの」だけなのである。   

『内田樹の研究室』より 『七人の侍』の組織論

http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.php

 ***

 

残念ながら『7人の侍』は名前は知ってはいたものの、あの無骨なおっさん達の血の一杯出ていそうな白黒映画には自分は縁遠いと勝手に思っていました。しかし、彼らのような年齢になり(たぶん)、やっと見なければいけない時がやってきた気がします。半世紀上も評価され見続けられることの意味が漸くわかってくるかな。とても楽しみにしています。

 

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